宮内小三郎邸(ミュゼ灘屋)

今から約280年前(1738年・元文3年)に伊予市郡中に建てられた宮内小三郎邸(主屋)が2017年4月に新しいコミュニティースペース「ミュゼ灘屋」として改修・再生されました。

(通りから見るファサード。印象的な破風や鬼瓦、うだつに大戸などが特徴。両隣も元は宮内家の敷地の一部でした。)


寛永13年(1636年)上灘村の宮内九衛門通則と清兵衛正重の兄弟により開拓され、商業地として大きく発展し、大洲藩藩主から町名「灘町」屋号「灘屋」を許されました。その後、元文3年(1738年)に現存する宮内小三郎邸が主屋が建てられました。


灘町の大きな宮内家も近代化の時代とともに規模が小さくなり、現存するのは主屋・主屋の奥の古隠居・新隠居となりました。(新隠居は臥龍山荘を手掛けた名棟梁中野虎雄により建てられています。臥龍山荘の施主河内家と郡中宮内家は親戚だそうです。)


公開はされていないものの歴史的な価値からも保存が必要とされていた主屋を多様性のある活用の仕方を目指し2016年から改修・復元。2017年にギャラリー・ミュージアム&コミュニティースペース「ミュゼ灘屋」とし市民に開放されることになりました。

入口看板。ミュゼとはフランス語で文化創造の場という意味です。

多目的スペースは改修前の様子や改修中の様子も展示されています。

伊能忠敬率いる測量隊の本陣として利用したというお座敷も「伊能の間」として復元されています。

よく見ると柱が斜めになっています。経年の中でずれてきたものですが、修復の際に建具の枠等で調整されています。欄間などの格子は当時のものがそのまま利用されています。



イベントスペースにもなる土間部分への入り口は当時のままであり、季節や用途によって使い分けられていた扉(板戸、格子戸、障子戸)も現存しています。


扉の説明をしてくれる門田さん(宮内家を守る会)の説明を聞く一同。

また小屋組みは圧倒的な大きさの丸太がかけれていました。松の木が使用されているようです。以前の宮内邸は通りから見ることはできたもののここまでの内部は公開されていませんでした。このような時代を超える価値があるものを後世に残す活動が郡中では宮内邸を中心に始まっています。



当時、付近では最も格式のあったうだつも現存しています。向かって左隣は建物が建っていますが、当時は宮内家の庭が広がっていたようです。


ミュゼ灘屋はまちや人に開放されており、お茶会をしたり、会議室になったり、サッカーのパブリックビューイング(!)など多様な利用がされています。歴史ある建物がいまだ点在する郡中の町に再生を遂げた宮内家が中心となり現代的な町の在り方が再考されはじめるきっかけとなりました。


現在、郡中の町の誕生から200年という大きな節目を迎え以下のような記念動画も作成せれています。


えひめ建築めぐり

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