愛媛民藝館、西条栄光教会・幼稚園・牧師館 「水の都の建築探訪ツアー」レポート(1)

お久しぶりです!コロナ禍では不要不急の外出は自粛であり、建築探訪もしにくいご時世ですが感染症対策の上、愛媛県西条市で行われたイベント「水の都の建築探訪ツアー」に参加してきましたのでレポート形式でお送りいたします。


「水の都の建築探訪ツアー」概要

このfacebookの投稿を目にして参加してきました。主催はISHIZUCHI JOURNEYさん。

ISHIZUCHI JOURNEY HP イベントページ

イベントでは「愛媛民藝館」をはじめとする浦辺鎮太郎の建築を案内していただきました。「愛媛民藝館」「西条栄光教会」は訪れてみたい場所でしたので、このイベントのレポートとして建築を紹介します。



浦辺鎮太郎と民藝

イベント参加前に調べ物を2点。1つは探訪する建築の設計者「浦辺鎮太郎」と、もう1つは「民藝」です。

浦辺鎮太郎」は岡山県倉敷市を中心に全国的に活躍した建築家です。元々は倉敷絹職という会社の建築営繕技師であったことや、近代建築の巨匠FLライトの弟子である遠藤新やオランダの建築家WMデュドックの影響などのバックボーンも興味深いのですが、個人的には日土小学校を設計した愛媛の松村正恒と、瀬戸内歴史民俗資料館を設計した香川の山本忠司と共に「瀬戸内海建築憲章(1979年)」を発表したことでも知られ、その場所にしかない地域風土に寄りそう建築家という印象です。(瀬戸内海建築憲章については「トークイベント愛媛の建築について座談会」でも触れられています。)

そして「民藝」。お土産物売り場の「民芸品」とは異なる「民藝」。民衆的工藝や民主的藝術ともいわれ、手仕事の中にある「美」に注目した思想家柳宗悦による民藝運動。じっくりと調べてみたいと思いながら、かーなーりー深そうなので日本民藝協会のサイトを紹介して割愛することとしますが、民藝の特性にもある「地方性」「伝統性」「他力性(風土や自然の恵み)」は浦辺鎮太郎の建築思想と合致していることがわかります。

元々は、浦辺鎮太郎が働いていた倉敷絹職の創設者大原孫三郎が民藝運動の支援者であり、倉敷絹職の工場が西条市にあったことから、倉敷・民藝・浦辺の西条へ関わりの流れがわかります。


「水の都の建築探訪ツアー」レポート

当日は西条市役所に車を停めて愛媛民藝館前で受付をしました。

こちらが愛媛民藝館(1967年)の建物です。中央が入口で向かって右側が愛媛民藝館、左が西条郷土博物館です。行ったことはありませんが、東京にある日本民藝館と構成やファサード(正面)のデザインが似ている気がします。

日本民藝館(日本民藝館HPより転載)


イベントに参加したのは15人ぐらいだったかな。大きめのカメラ片手に1人で参加している青年は端からみると間違いなく建築小僧だったでしょう。。。


ツアーガイドさんの説明を聞きながら、まずは西条栄光教会へ!

左手前が教会(1951年)、右奥が幼稚園舎(1951年)です。浦辺鎮太郎における最も初期の建築です。シンプルな切妻屋根ですがケラバの出が外壁と一体となる十津川の民家(マニアック)のようなデザインです。平側の壁にはリズミカルに窓が並んでいます。

教会内部です。照明と一体化したタイバー構造の木造トラス屋根、六角形の柱、床材は木レンガです。前述した浦辺鎮太郎へ影響を与えた近代建築の巨匠、F・L・ライトや弟子の遠藤新が設計した自由学園明日館(1927年)の影響を感じます。

自由学園明日館講堂(自由学園明日館HPより転載)


ベンチ。床は木レンガ。

ツアー当日は特別に鐘を鳴らしていただきました。ちなみにこの鐘はアメリカから海を渡ってきたそうです。

教会の次は幼稚園園舎をチラ見。当日は土曜日だったので子供たちがいつも通り遊んでいました。この園舎は2020年に改修工事を終えています。詳しい改修内容を紹介しきれませんが、この後に見学した牧師館も2018年に改修工事を終えています。「保存」と「再生」、「復元」と「復原」、「リノベーション」と「リストレーション」、どこを新しくして、どこを残して、どのように直すのか、絶妙なバランスを選択しながらとても難しいことをしている印象です。

こちらが牧師館(1951年)外観です。こちらもシンプルな切妻屋根ですが、屋根周りは一般的な木造建築のデザインです。しっかりと出ている軒の出や、胴差周りの庇によって真夏の日射遮蔽がしっかりできています。また南面の窓が大きく配置されているので、冬の日差しはしっかり取り入れるパッシブデザイン(自然の力を利用する設計)の要素が見受けられます。さらに、1階の開口部(窓)の連続性など、前川國男邸(1942年)のような木造モダニズム住宅の香りがプンプンしていますね~。

牧師館という名前の通り、牧師さんが生活をしていましたが、半分は信者の集会室としても利用されパブリックとプライベートが共存する浦辺鎮太郎設計の建築には珍しい住宅風の建物です。が、浦辺鎮太郎の作品集には掲載されていないようです。

公私2つの使い方があったので動線を分けるために階段が2つあり、合わせて吹き抜け空間も2つあります。上の写真は玄関上部の吹き抜け空間です。

こちらが集会に使われていた客間です。連続水平窓から見える風景がいいですね~。昔はお濠が見えていたのかもしれません。壁は柱や梁の構造が見える和室のような真壁工法ですが、空間としては全く古くなってないません。ささら桁を用いたストリップ階段にスチールの手すりって現代のオシャレ住宅にも多用されてますよね。すごい!

軒の高さも低く抑えられているので、2階は天井が低い部分もありますが、勾配天井で圧迫感はありません。全体的に小ぶりだけど上質という印象です。

と、見学の際は綺麗に改修された後なので好き勝手語ることができますが、1951年に建築され2015年から保存・再生のために調査をした時には痛みが本当にひどかったようです。いただいた資料によると、構造の梁を30本、柱を9本、基礎にいたっては曳家(ひきや)を行いベタ基礎を新設しています。ちなみに曳家(ひきや)とは「建築物をそのままの状態で移動する建築工法(Wikipedia)」です。

牧師館の改修工事当時曳家の様子がこちらです。

建築探訪イベント当日、牧師館保存改修ワーキンググループの建築士の長井さんと髙木さんがいらしたのでお話をお伺いしました。引用してまとめると、

「協会関係者が建物を残し使い続けるという選択をした。歴史・文化的な価値はあるが、文化財として当時の姿に戻すのではなく、今までの改修部分を受け入れ、現代の使い勝手にも合う今後も使い続けられる建築を目指した。」とおっしゃっていました。(資料に書かれていました。)

建築とは、彫刻などの芸術ではなく、人間の営みを支える器です。「文化財」としての価値となると、色々な考え方があるようですが、建築は使われ続けてなんぼだな~と再確認できました。

(いつの改修かわかるように、入れ替えた柱にハンコが押されています)


ところで、牧師館と幼稚園は改修済みですが、教会は未改修であり、今後準備をして改修をしていく予定です。寄付金を募っていますので、ご興味がある方は是非お願いします!(私も微力ながら募金箱に入金してきました。)


水の都の建築探訪ツアー(1)はここまで。次回、(2)に続きます!


続きはこちら。

愛媛民藝館、西条栄光教会・幼稚園・牧師館 「水の都の建築探訪ツアー」レポート(2)


西条栄光教会・幼稚園・牧師館

  • 設 計:浦辺鎮太郎
  • 所在地:愛媛県西条市明屋敷236番地10
  • 構 造:木造
  • 竣 工:1951年(牧師館2018年改修)(幼稚園2020年改修)

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